働きアリの法則で語るなら、世の8割は易きに流れ、働き者の2割を疎ましく感じるということになる。自分の生き方を正当化するには受け入れ難い存在なのかもしれない。とは言え、働き者の足を引っ張り挫いてしまえば、その界隈を賑わせていた好循環が絶たれ、足を引っ張った者たちにも悪影響が及ぶのが現実だろうに…と思う。
マイナスのベクトルで共感を得るのは容易い。傷を舐め合い異端を排斥することで得られる優越感に浸っていればいいのだ。だが、そのような行為によって生み出されるものなど何もない。足を引き合う者たちには繁栄の道を拓くことなどできないのだ。居心地の良い生温い楽園に浸って緩やかに滅びの道へ進む者…何とは言わないが、私にはそのように感じられてならない。
人は1人では生きていけない。支えられ、支持されることで生きる道を見出していく。そのために、支えてもらえる何かを自分の手で見つけなければならないわけだが、何をもって、何によって支持を集める存在となるのか、それがその人の本質であり、人生なのだと思う。
私は、希望の光芒が見えるように、光の射す方へ、そんな祈りにすべてを捧げ、明日へ導いてくれる尊い人を知っている。彼が存在しているだけでこの世の中は捨てたものではないと思える。そんな存在こそが、「生み出す者」なのだと思う。
まばゆく輝くその光ゆえに疎ましく思う輩も多いだろう。信念に基づき他者に靡かぬ存在ゆえに敵も多いだろう。だが、緩やかに滅びの道へ向かう流れがメインストリームになりつつあるように感じるこの世界の中で、いつの日も変わらず輝き続けるその光こそが明日を生み出す希望なのだとしたら、決してその輝きを失ってはならないと思うのだ。
もちろん、これは全て私という人間の主観でしかないわけだが…生み出す者と滅ぼす者が居るとして、なぜ人は何も生み出さぬ道を選ぶのか。世の理不尽に触れるたびに尽きない問いを繰り返す日々。
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